印 章 ○印の歴史 ○印鑑の種類 ○署名と記名捺印 ○実印と印鑑登録 
会社の印鑑 ○署名、印鑑をめぐるトラブル ○「書」の落款 ○豆知識
   中国の印
 印の制度・風習は中国に始まり、日本などアジアの各地方に伝わりました。 その起源は明らかになっていませんが、周の時代にはその存在が認められ、春秋・戦国の頃 には相当普及していたとおもわれます。
 印章はもともと文書に権威を与えるとともに、その封を確実にするためのものであり、中国 の印は印綬にはじまると考えられています。 大臣や地方長官のような高級執政官が任命の証章として授けられる札が印で、位階・官等・ 任処などが刻んであり、礼服のとき印を前にかけ、組ひもを腰に巻いて印を結びつけるので すが、このひものことを綬といいます。
 周代にはいって、文書は板または竹を細長く仕立てた木札または竹簡(ちくかん)を横に 並べて編んだ簀(す)に書き、これを巻いては箱に入れるか、または皮で包み、ひもをかけ てしばり、その結び目に泥をぬり、この泥の上に印を押しあてて文字の型を写し、封泥(ふ うでい)の章(しるし)としました。印の文字は白文(陰刻・凹刻)で、この方法が発展 し、金属や玉(ぎょく)の材料に文字を陰刻し、封泥のさい印にかえて用い、また染料を使 って他物に印色を押し写すようになってからも、印の大部分は陰刻による白文が伝わりま した。
 221年、秦の始皇帝が中国を統一すると、四寸角の印をつくって「受命于天 既寿永昌」の 八文字を彫刻させ、これを皇帝の印とし、璽と称し皇帝専用の呼称としました。
 秦の滅亡後は、璽は漢の王宮に収まり、以後伝国之璽と称して、主権継承のしるしとして尊 重されました。しかし、政変のたびごとに行方がわからなくなり、真璽は後漢の末、董卓の 乱(189)のときにはすでになくなり偽物が伝えられ、六朝以後は六種の偽物が別々の系 統で伝えられたといいます。
 結局、秦璽がはじまって約1100年後、唐朝とともになくなりました。
 一方、漢の代になり,諸侯・丞相(首相)・将軍の印を特に章と呼ぶようになり、印は璽・ 章以外をさすようになりました。以来、印章という総称がはじまり、唐代には官吏に銅印一 個があたえられています。
 以上の官印に対し、個人の姓名を刻んだ私印も早くから使われ、時代とともに諸方面に発展 しています。
 雅号や堂号などを刻んだ雅印や遊印の類も、漢代からすでに使われ、宋代以降しだいに盛ん になり、ことに書画の落款と併用する風習を生じてからいっそう流行したようです。
 明の太祖のとき(14世紀)、行政事務官が印だけ押した白紙を用いて起こる弊害を防ぐた めに定められたのが関防の制で、これは方形の印を縦に二分した半印の勘合符で、議定書 に半印を押し、公文書のときに勘合して半印を押す割り印です。
 のち関防の制は廃止されたが、長方形の印形を関防と称して、永続的でない役所や管理の場 合に用いることとされました。関防はもちろん官印ですが、この長方形の印形が、葉印、 瓠印(こいん:ひょうたん形の印)などの形に発展し,書画の遊印にも関防という名称で 使われるようになりました。
  西洋の印
 古代オリエントの諸地域では,特に材質やデザインにさまざまな工夫が凝らされ工芸品と してもきわめて優れたものが少なくありません。これらオリエントの印章には,スタンプ 式と回転式があります。スタンプ式は直径2〜6センチで円盤形・ボタン形が一般的ですが, エジプトでは指輪やスカラブ(神聖な甲虫)の形をしたものも見られます。回転式は長さ4 〜6センチの円筒形で円筒形印章(シリンダーシールズ)といわれています。
 文様は周囲に陰刻されていて、封印などのさい粘土に回転して捺印しました。中軸に穴が あり,普段はひもで首から下げていたらしく,装身具,あるいは護符としての機能を持っ ていたことが想像されます。
  材質は大理石・蛇紋石・水晶・メノウなどで、文様には幾何学文様・動物文様があり、円 筒印章には神話を題材にしたものや,伝説的人物・王の像などが描かれていました。また 一隅に姓名・官職を刻んだものもあります。本来は個人または神殿の所有を表すためのも のですが、商品を入れた瓶や小荷物を封じるための封印としても用いられました。
  文様は時代によって特徴があることから、印章の発見により年代や文化交流のあとを知る ことができます。
  オリエントの印章の起源はメソポタミアで、スタンプ式が古く、紀元前300年ごろになっ て円筒印章が現れ、この地域に粘土板の文書が発達したこともあり、広く普及したようで す。 エジプトにはまず円筒印章が伝わり、スタンプ式は第六王朝(紀元前2309ごろ)に出現、 やがて支配的になっていきます。
 ギリシャの印章は主としてエジプトの甲虫形の流れをひき、捺印という実用目的よりも、む しろ美しい石材に陰刻された工芸品、彫玉の一種としての性格を強くしています。
  ローマ時代には貨幣のデザインなどと同じように、肖像を彫ったものが用いられています。 西ローマ帝国の崩壊以後、一般人の印章の使用は一時中絶しましたが、七世紀後半ごろに教 皇の印が用いられ、メロビング朝の諸侯も印章を用いたことが知られています。
  当時の印章は、一般に古代の彫玉の形を模したもので、図像や紋章・文様が陰刻された貴 石が金属のマウントにはめ込まれ、その金属の部分に名前や銘文を彫ったものです。
 中世の中ごろから、個人あるいは公的機関がその身分や権威を明示するものとして印章を 用いることが一般化する一方、権力者は特に大型の印章を使用するようになりました。
  印影の形は円形・尖頭長円形などが普通で、盾形・ハート形・ひし形などもあります。 捺印の形式には直接文書の上に押す場合と、文書の一部を細く切り、それをリボン上にた らしてその上に蝋などをおいて捺印する方法、あるいは文書の端に穴をあけて細長い羊皮 紙やより合わせた絹糸を通し、その上に捺印する方法があります。後二者はふつう垂下印 (サスペンデッド=シール、またはペンダント=シール)とよばれています。
  西洋の印章は中国や日本のものと異なり凹凸のある印影を目的とし、この印影を得るため に材料にはふつう蝋を用いますが、鉛などの柔らかい金属も用いられ、場合により金や銀 なども用いられました。
  日本の印
 1784年(天明4年)、筑前国(福岡県)志賀島で「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」 と刻文のある金印が発見されました。真偽は別として、『後漢書倭人伝』光武帝中元二年の 条に「倭ノ奴国奉貢朝賀ス(中略)光武、賜フニ印綬ヲモッテス」とみえる事実に該当し ます。また『魏書』明帝景初二年の条に「倭ノ女王、大夫難升米ヲ遣ハシテ郡ニイタラシ ム(中略)今、汝ヲモッテ親魏倭王トナシ、金印紫綬ヲ仮ス」とみえ、この親魏倭王の金 印は発見されていないが、その印影は宋の『宣和印譜』に収められているといいます。こ れらのことから、印章の伝来はおよそ一世紀前後と推測されます。
 また『日本書紀』顕宗天皇元年の条に、「天皇ノ璽」ということがみえることから、中国 の印制にならった印の扱い方が、この頃すでに規定されていたと考えられ、大宝令で印の 制度が成文化されるにいたっています。
 大宝令に規定されたのは、内印(天皇御璽)・外印(太政官印)・諸司印(太政官所管の諸 官庁印)・諸国印で、これら官印のほか公式令に記録されていないものに郡印・郷印があ り『続日本紀』に給付を記録されているものに、京職之印・太神宮印・遣唐使印・遣新羅 使之印・節度使印・鎮西府印・大宰府印・僧綱印・社寺印など、公印または準公印とみる べきものがあります。
  これらの官・公印に対し、私印も奈良時代からすでに行われていたが、場合によっては印 章を押すかわりに、手印が用いられ、手のひらに印肉をつけて、紙面に押すこともありま した。さらに鎌倉時代にはいり、大宝令以来の印章制度がますます衰退していったのに反 し、禅僧らによって新しく私印の風習がもたらされました。また、室町幕府や大陸との貿 易に従事した大内・細川らの大名によって貿易用の印として勘合符が用いられましたが、 これは明の関防と同じく半印の割印です。
 ところで、禅僧による宋元印章の輸入は、南北朝以降印章を花押(かおう)の代用として 文書に押す風をおこしたが、それが盛行したのは戦国時代であり、印章は印判(いんぱん) といわれるようになりました。上杉憲実らをはじめ東国大名の間に流行し、東海・奥羽に 及んだが、一方、九州の大友宗麟らは、当時おこなわれた天主教の影響でローマ字(南蛮 字)印を用いていました。
 このように戦国時代には印判状の盛行によって多彩な印章が現れましたが、江戸時代には いると単調な朱印状になっていきました。
 庶民の印としては、鎌倉時代から筆の管尻に墨をぬって押す筆印があり、また室町時代か ら江戸時代を通じては黒印がおこなわれていましたが、明治以降は朱印が一般的となって いきました。
  尚、江戸時代には犯罪者の口述書に爪印を押させましたが、現在は印を所有していないも のや持ち合わせていないものが、便法として爪印・拇印を押す場合があります。
 また、金・銀・器物などに型で打ち出して品質・量目・製造所などを証明する印を極印(ご くいん)といい、江戸時代には金銀貨幣・廻船・川船などの極印が代表的なものでした。
  烙印(らくいん)は焼印・火印ともいい、銅・鉄製の印を焼いて物に押す極印の一種で、 竹・木製の器具などに商標・規格・製作者などを表記するのに用いられました。

〔御 璽〕  天皇の印章。天皇の国事行為のうち詔書、法律、政令、条約、信任状などの公文 書、認証官以上の官記、四位以上の位記(位階を授けるとき発給する公文書)に 押される。国璽とともに宮内庁が保管する。印文は「天皇御璽」。1874年以前は二 寸七分角で銅材、それ以後は三寸角の金材。

〔国 璽〕  日本の国家の印章。1871年制定。明治憲法下では批准書、全権委任状、信任状 などにも用いられたが、現在は勲記にのみ用いられる。三寸角の金材で、印文は 「大日本国璽」。宮内庁が保管。

〔花 押〕  花押(かおう)。書判(かきはん)ともいう。署名の一種。古くは文書の署名は 楷書による自署であったが、名を草書にくずして形様化した草名(そうみょう) によるものが生じ、平安中期ごろ以降より一種の記号によるものが用いられた。 これを花押という。戦国時代から江戸時代には花押の印章も用いられるようにな った。

〔印判状〕  印章を押した文書。室町時代から盛んになり、朱印状、黒印状等がある。東国大 名の間で発達し、法令の発布や安堵に多く用いられた。小田原北条氏の虎の印判 状、武田氏の竜の印判状等は有名。